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最初の出会いは、『声』だった。(3)
メロディーメーカーとしての才能はピカイチ。音楽好きの母親とともに育ち、ビリー・アイドルに憧れていたという(だから、黒いレザーのリストバンドをつけてることが多いのか?!)クリスチャン・ヴァレンにとって、ポップスとはイコール英米のトップ40であり、その時折のメジャーなトレンドだったのかも。
彼の身体に染み込んだポップ・センスは、ある意味ミーハー的といっていいほどキャッチーなものだ。マイナー・コードはあくまでも哀しく、引き返すことができないほど絶望的。俳優としては、かなりのテクニシャンのようだが、音楽に向かう彼の姿勢は、少年のようにフレッシュで世間擦れしていない。
ラジオ番組のプロデューサーとしてキャリアをスタートさせ、CDデビューは長年の夢であったというエピソードも、重く心に残る。音楽は彼にとって「聖域」なのだ。痛々しいまでのイノセンスが、作品全体を覆う。
音楽を含め、さまざまなジャンルの表現者と向き合って、ひとつ感じたことがある。彼らの才能には、共通点があるということだ。表現者にとって最も重要な才能とは「いま世界が何にたいして飢えているか」を感受するセンスなのだ。それは、時代の趨勢に振り回されるということとは別の次元の感性である。自分自身の肉体を世界全体に置き換え、もっとも鋭く感じる「渇き」をうるおす表現をなすこと――――それこそが、表現者の最も高次元の使命だと私は思う。湧き上がるパッションに身をまかせ、興奮のおもむくままに表現されたものを、否定しているのではない。が、それは『若さ』という生理現象以上のものになる可能性は低い。
ロックがジャンルとして若さを失い、混迷にさしかかっていると言われて久しい。その混迷を超越し、鮮やかな未来へと続く道を描けるのは、深い知性をもった、反省的なパッションだ。クリスチャン・ヴァレンが、愛の挫折と愛への渇望を歌うのは、彼が今の時代に最も足りないものは「愛」だと知っているからに違いないのだ。
彼の心と身体は、そのまま世界の体感へと通じている。彼の人生に起こった災難や不幸は、彼が「おおいなる普遍」へとつながるためのギフトだったのだろう。そのことを誰よりも自覚しているのは、クリスチャンその人であることは間違いないのだが。愛の欠乏は愛にあふれた世界を夢見、愛の悲劇を歌った歌こそが、愛を失った世界に愛の必然を気づかせる――――デリカシーの塊のような、触られただけで傷んでしまう桃の果実のような音楽が、またいちだんとセクシーで、愛しいものに感じられてきた。
CD解説 『Listen When Alone / ある男の物語』 / 小田島 久恵
日時: 2007年03月23日 17:02
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