こころ

SUPER SONIC 流儀

自社サービスを改めて考える事ってありますよね。

例えば、それは「サービスの仕組みはこれで良いのか」といった事から始まり、「サービスの提供価値はどうなのか」など。きっと、サービスを考える事は、時代が変化する限り尽きることはないと思います。また、その様な事を考える際に、何をどの様に判断し、その基準をどこに設けるか、企業によって様々な考え方がありますよね。その答えが、企業の成長に繋がる様な結論であれば、共有すべき行動指針のひとつになったりもして興味深いですよね。

さて、スーパーソニックではどうか?

お恥ずかしながら、明確な基準を今は設けておりません。

それは、現在までに進める幾つかのプロジェクトにおいて、これまでの経験で得た判断基準の様なものが必ずしも沿うとは感じなかったためです。

しかし、判断基準を設けないと、状況によって何度も根本的なところから考えなくてはならなくなり、手間が増えるかもしれません。毎回、頭を抱えて悩むかもしれません。非効率の何物でもないかもしれません。

その上で思う事があります。手間を惜しまず、頭を抱えて悩んでも良いんじゃないか。
非効率だと厳しい目を向けられる事に、ビクビクしても良いんじゃないか・・・と。
だから、スタイルを持たせ過ぎる事なく、推測立てた結論も持たず、もう少し進んでみようと考えています。

私どもの仕事は、お客様との交わりの中で、予想外の事が多岐にわたって、現実に起きます。また、その予想外が起こる事を想定している節もあります。それを含めて私どもの仕事だとも考えています。

これは、あくまでも私どものケースなのかもしれませんが、状況判断でより良い軸を見い出しながら進んだ先にあったものは、そんな対応を含めた上で頂けた、お客様からの「ありがとう。」という言葉でした。

まだまだ未熟な1年未満の会社ですから、私どもが100点満点の対応ができていたとは申しません。しかしながら、プロジェクトを終えた際にいつも感じるのは、チャンスを頂いたお客様に対する感謝であり、そのチャンスに応えてくれた仲間に対する敬意です。

もしも、これがルーティン化され過ぎていると、プロジェクトから降りたかもしれません。お受けしたとしても、お客様には満足頂けなかったかもしれません。プロジェクトの一連の中で、大事なものや新しいものにも、出会えなかったかもしれません。気づけなかったものがあるかもしれません。

逆説的に言えば、先入観のないクリアな状態で飛び込んだ時に、出会える人がいます。気づける事があります。そこで考えた事や、感じた事から、「今、自分たちが何をするべきか」が分かってくるのだと実感する事が多々あります。

話は横道に逸れますが、先日、某牛丼チェーン店の接客について感じた事をTwitterで呟きました。その内容を改めてお伝えします。

私は、味の好みから牛丼チェーンで利用するならこのお店!というものがあります。
また、チェーンの中でも行動範囲の兼ね合いで、よく利用する店舗が限られてきます。そして、最も多く利用する店舗に至っては、私の仕事柄もありますが、店員さんを数人記憶しています。

これは、そのよく利用するお店での話です。

この店舗には、対照的な50代前半くらいの女性店員さんが二人いらっしゃいます。
お一人は指導役の名札をしたAさん。もう一人は、優しげな笑顔が印象的なBさん。

Aさんは、てきぱきと業務を進めるのですが、ルーティン化された動きが完璧過ぎて、自分の出したお膳の中にミスがあっても気づかなかった事が数度あり、私も、仕方ない範囲かなと納得して食べ終えると、店を後にする事が過去にありました。

もう一方のBさんは、少しおっとりとした動きなのですが、お客様の要望に、いつも臨機応変な対応をしていて、笑顔を絶やさず優しい空気感を作ってくれます。また、のんびりでゆっくりとした動きではあるものの、Bさんの動きには無駄がない様に感じるのです。一番分かりやすい点は、Bさんがお店に立つと、テーブルに食べ終えたお膳などが残っておらず、気持ち良い店内の空間を感じる事ができます。

そして、そんな二人の業務に対する姿勢を観察していると、ある驚きに遭遇します。

同じ味のはずであるチェーン店の、それも同じ店舗の牛丼が、Aさんに出してもらった時より、Bさんに出してもらった時の方が美味かったという出来事です。細かく詰めていけば、その時間帯に行けば出来立てだったのかもしれません。炊きたてのご飯だったのかもしれません。

しかし、心に残るのはBさんが出してくれた牛丼は、美味かったという事実だけです。

この「B丼ショック」から改めて思う事があります。ルーティン業務ではなく、心の赴くままに行う接客には、動きに無駄がないという事です。お客様が入店した時に、食べ終えた膳が残っていなかったり、注文の仕方が分からないお年寄りには、その言葉を汲み取って食事を準備してあげたり、お客様の声に耳を傾ける事で、すべき仕事を見い出していくと、求められるサービスにおける着地を、見失わずに仕事を研ぎ澄ます事が出来るのではないかと考えさせられました。

また、違う角度から見ると、ルーティン化は頭や体で覚えた言わばたルールです。ルール通りの動きというものは、己を守るために少なからずあります。相手を思う心から生まれた動きには、サービスとしての進化や可能性を育みながら、時代に順応していく力が備わっているのかもしれません。

B’z、Bダッシュ、let it Be、そしてB丼。やはり、Bには何か底知れぬ力があるのではないでしょうか。

最後に、今、何を感じ、何に心が動いたのか、相手の立場にも立ちながら、自分の心に問う!そうすると、必要な事が見えてきたり、見えてこなかったり(笑)もします。

しかし、そこから生まれた事が行動指針へと成長した時に、未来のスーパーソニックの判断基準となってくれるのかもしれません。

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