私には、長く続いている趣味という趣味はない。
しかし、映画や映像というものが昔から好きで、映画は3000本以上は観ている。
そこで、たくさん観てきた映画から感じた事や、学んだ事をゆっくりと記していきたい。
今回は、その序章という事で、映画をよく見る様になった最初のお話。
映画を観る様になったきっかけは、親父の影響かと思う。子供の頃の私は、親父の観ているアクション映画を、集中力が散漫な状態の中で、一緒に観ていた気がする。
そこに映る作品の中では、シルヴェスター・スタローンが、上半身をむき出しにして、鍛え上げた筋肉を見せつけながら大暴れしていた。アーノルド・シュワルツェネッガーも、どこに売っているのか分からない様な、銃や大砲をバンバンぶっ放しては、悪を退治していた。ブルース・ウィリスも、敵以上に建物を破壊しながら誰かの命を守っていた。
きっと映画の中で暮らすエキストラのキャラクター達にも意思を与えれば、「あれは、ただの抗争にしか見えなかった。」とでも言うだろう。そんな、同じ様なストーリー展開のものを順々に観ていた様に記憶している。
良し悪しは別にして、当時はそういった筋肉隆々の半裸の男達が、スクリーンの中で悪をバッタバタと倒す作品が主流だったのかもしれない。そのシンプルな物語は、子供心にも分かりやすかった。
改めて考えると、映画作品はあくまでも作られた世界であり、シナリオ通りに始まり、そして終わる。
この2時間の中で、観る者の中に、世界観を作り上げ、尚且つ魅了して、何かを残す。
それは、感動であったり、勇気であったり、疲れた日常から解放する事であったりする。また、時には芸術性を表現したり、社会問題を提示したり、歴史を教えてくれたりもするだろう。
私も、確かに筋肉隆々の男達から、悪と戦う格好良さと、タンクトップは、デニムにも、チノパンにも、カーゴパンツにも、合わせやすいんだぜ〜!という事を教わった。
そこから、段々と私自身も年齢を重ねて、好む映画のジャンルやテイストも、観るポイントなんかも変わっていくのだが、シルヴェスター・スタローン監督作品「エクスペンダブルズ」に集まった彼らは、良い意味で相変わらずだぜ!って感じだった。
今回は一点だけ、映画から私なりに学んだ事をお伝えしたい。
それは「ドラマを感じる。」という事です。
映画作品というパッケージの中で、たくさんの人達が関わりながら、様々なこだわりや、時代と共に進化する手法などを用いて、ひとつの映像作品は出来上がっているだろう。
そのほとんどの、映像の中に「ドラマ」は存在し、人の心模様も存在している。
例えば、それは不器用な青春時代の恋の話だったり、年を重ね余生と折合いをどの様につけるか等、私たちの人生にも、いつかあった一場面や、これから迎えるであろう一場面だったりするのである。
「これは、映画の中の話。」で片付けるのは止めようと思った。
そして、映画の中に出る登場人物の物語は、決して特別なものではなく、未だ見ぬ世界のどこかで、まだ出会っていない誰かの出来事であると仮定する様になった。
この仮定する行為を、仮に「スーパー・ムービー・フィルター・ソニック」とでもしておきましょうか。
このフィルターは、私の視点を大きく変えるきっかけへとなったのです。
この続きは又の機会に。
つづく。